30代40代50代、そして流れるように当然60代になった今、ふと思うことがあります。
ず~っと生きていることが当たり前に思っていたのですが、この年代になると、いついかなる時にこの世を旅立ってしまうのか、それがいつ来ても可笑しくないと思うようになりました。

そう思うと、愕然とするものがあります。
当然のことですが、分かっていることですが、愕然とするのです。

独居なので、妹たちが心配して、出来ればすぐ近くに住めば?などと声を掛けてくれます。

世間では時折、『孤独死』がニュースで流れますが、同じ独身女性の友人とも話すことがあります。
将来、もし何らかの事情で一人で旅立ったとしても何の悔いもないよね、などと。

でも、その『将来』は先のように考えて話すのです(@_@)

それは、30年先かも知れないけど、もしかしたら!明日かも!一週間後の今日かも!

そう思うと、50代までは、『まだ先』と思っていた『人生の終焉』もいつ来てもおかしくないんだ・・・と思える(実感する)ようになりました。現実味をおびて実感するようになりました。

それは、まるで小学生の頃、予防注射の列に並んでいて、自分の番はずっと先なので周りの友達とはしゃいだりふざけ合ったりしていたのが、段々と順番が近づいてくると、みんな神妙に大人しくなって、子供心に覚悟のようなものをするのです。恐怖と不安を感じながら、受けなくてはならない現実として覚悟するのです。・・・そんな感じです。
寿命に順番はありません。ただ、列に並んでいないだけで、必ず名前は呼ばれるのです。

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人生は本当に短いのですね(^_^.)
表題の『一日一生』はよく海老蔵氏のblogで目にする言葉でしたが、アマゾンで調べてみました。

以下、内容紹介の文面です。
「一日を一生のように生きよ、明日はまた新しい人生」。
現代の〝生き仏〟と称される酒井雄哉・大阿闍梨の慈雨の言葉集。
生々流転を経て、比叡山・千日回峰行を二度満行、いまだ歩き続ける。
なぜ生きるのか。
いかに生くべきか。
人生に迷うすべての人に。

「あせらず、あわてず、あきらめず、無理をしない」
「仏さんには、なんもかんもお見通しかもしれないよ」

 

目次を読むだけでも言葉が沁みます。
「一日一生」(朝日新書)

 

私の持っている『人生の日々』の駒も後幾つだろう?
もしかしたら、大きな袋にまだ一杯入っているかもしれない(^O^)
もしかしたら・・・片方のポケットに入るくらいかもしれない(._.)

そう思うと、一日一日を一生として生きていければなぁ!と思います。
やり残したことありそうだけど、それはみんな一緒です。

今目の前のことに、一生懸命に心を注いでいければいいような気がします。

何だか、この言葉に、この目次の言葉だけでも勇気を貰えるような気がする。
(アハ!目次だけで済ませるなんてなんてヤツでしょう!)

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